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2017.10.13


いよいよ獺祭を飲んでみた。



獺祭2割3分

まずは精米歩合2割3分のものから。
高精米が売りの獺祭。
まずは一番精米歩合が高いものから飲んでみた。



美味しかった~。



新潟の銘酒と言われている端麗辛口のお酒の「痩せた馬」の感じは無かった。
甘味と旨みのがしっかりある、所謂ボディがしっかりしているお酒だと思った。
香りも良い。
甘味と旨みのボディがしっかりしているので、吟醸の香りがより引き立っている。
旨みと甘味と辛みのバランスも絶妙だと思う。
どこも出っ張らず、何処も凹んでいない。
とても良いバランスだと思う。
確かに噂通り美味しい日本酒。
確かにこんな日本酒は、有りそうでなかった気がする。



ん、有りそうで無かった・・・。



そう、有りそうで無かった日本酒といった印象があった。
確かに美味しいのだが、空前絶後という訳ではないと思った。
もっともうおぬま屋は、下戸。
そんなに多くのお酒を飲んだ訳では無いので、良く分からないけれど。



そも、精米歩合2割3分という高精米の効果が良く分からなかった。
高精米にするとお酒に含まれるタンパク質が減り、うまみ成分が減少し、端麗になると思うのだが、獺祭のしっかりした旨み成分は何処から来たのだろう?
この旨み成分は、お米由来では無いのだろうか?
もしかして、日本酒のプラス側の旨み成分って、お米由来では無いのだろうか?

また新たな疑問が出来てしまった。



獺祭2割3分は、バランスが抜群。
ただ、バランスは抜群なのだが、それだけに、なんだか小さくまとまってしまった感もあった。
爆発するような華やかさと言うか、上質のコンソメスープや熟成された味噌で作られた味噌汁を飲んだ時の様な、幾千にも重なる旨みの華やかな競演の様なものが無かった。
お酒なのだから、スープや味噌に例える事が間違っているのかもしれないが、何だろう、鳥肌が立つ程の感動は無かったのも事実。
キラキラ輝くような日本酒は、そも存在しないものなのだろうか?
どうなんだろう。



自分の日本酒に対する考え方が間違っているのかもしれな?
また、獺祭は、本当に日本酒のひとつの高嶺を極めているのだろうか?
色々分からない事だらけ。
日本酒、やっぱり奥が深い。



極上と言われるワインを飲んでみたい。
そんなワインは、キラキラしているのだろうか?
していないのだろうか?
確かめてみたい。
そんな気持ちが強くなって来た。



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2017.10.12


テレビCMで、骨を取った魚のお惣菜が宣伝されていて、ショックを受けた。



お年寄りや小さい子供でもなければ、やはり魚の骨位、自分で取って食べるべきであろう。
自分の事は、自分でするは、当たり前。
仕事が分業化しているからと言って、全てを分業化して良い訳では無い。



では、なぜ「自分の事は自分でする」のが大切なのか。



ひとつは、「色々な体験が人の能力を伸ばす」からだと思う。
学校の主要5教科さえ成績が良ければ、それで良いというものではない。
自分の出来る事は、なるべく自分でする事によって、色々な能力が身に付き、やがてバランスのとれた知力が育まれる。
高い山には広い裾野が必要なのだ。
魚の骨を取る行為も、その広い裾野を作る、ひとつの要素だという事を忘れてはならない。



うおぬま屋は、藍染が好きだ。
得も言われぬ深みを持つ藍染の藍色。
藍染の、あの深い風合いは、藍色以外の色素である赤や黄色等、数千にも及ぶ藍色以外の色素があってこその藍色なのだと聞いた事がある。
単純な藍色のみの化学染料では、深い風合いは出ない。
一見、無駄な要素と思える事が、実は重要と言う事は、良く有る事。
人もしかり。
複雑な人の心を作るのに、効率ばかりでは、ダメに決まっているのだ。



なぜ「自分の事は自分でする」のが大切なのか、
もう一つの理由は、「高効率を求めるあまりの分業化は、過適応」だからだ。
過適応は脆い。
あまりにも環境に合せ過ぎて、高効率を求めると、いざ環境が変化した時、全く付いて行けなくなり、ぱったり倒れてしまう。
過適応は、危険なのだ。



過適応の分かりやすい例は、恐竜。
彼らは、安定した環境のもと、体を巨大化させていった。
体を巨大化させる事が、彼らにとっては生きていく上で有利であったし、効率が良かったのだ。
しかし、巨大隕石の衝突による寒冷化という環境の変化により、億年単位で繁栄していた彼らも、あっさり絶滅。
大きな体は、大量の食物を必要とし、寒冷化による食物の減少に全く付いていけなくなってしまっていたのだ。
人の社会の高度な分業化も、恐竜の巨大化と同じ。
過適応なのだ。
人も恐竜たちと同じ道を歩んでいる。

恐竜図鑑の表紙

あまりに高度になった分業化(文明)が、脆い事は、東北の震災の際、骨身に染みたはずだと思うのだが、その教訓は、魚の骨を分業化によって取ってしまう行為には、全く活かされていないようだ。



自分で出来る事は、なるべく自分でする。
大事なことだと思う。
魚の骨位、自分で取ろう。
社会の分業化が進んでいったとしても、一人一人の能力が下がっていなければ、過適応にはならないのだから。



しかし、もっとも、魚の骨取りに限らず、分業化の弊害は、随所に現れていて、その限界を既に超えているとも思う。

一人一人の自覚が重要なのだが・・・。



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2017.10.11


テレビCMで、骨を取った魚のお惣菜が宣伝されていて、ショックを受けた。



お年寄りや小さい子供でもなければ、やはり魚の骨位、自分で取って食べるべきであろう。
自分の事は、自分でする。
うおぬま屋が子供の頃は、それが常識だった。
自分で出来る事は自分でする。
それがいつの間にやら、すっかり忘れられてしまっている。



それが何故忘れられてしまったのかというと、「仕事の分業化」が高度に発達した影響があるのだろうと思う。
あまりに仕事の分業化が、入り線を窺うように発達したため、個人の生活にまでその方式が入り込み、重大な齟齬を生じている。



仕事の分業化は、効率が良い。
極端な話し、一つの技に偏って訓練すれば良いのだから、技術の習得は早いし、高度な領域にも到達出来る。
今の世の中は、それによって支えられていると言っても良いだろう。
しかし、それを個人にも、そのまま当てはめるのは間違いだと思う。
個人の場合は、効率が良ければ良いというものでは無いのだ。



家事分担は、いまや当たり前になりつつある。
それなのに、それと逆行する様な骨の無い魚。。
魚の骨さえ取れない者が、家事をこなせる訳が無いだろう。



分業化社会においては、他人の力を借りて生きるのは基本ではある。
助け合いも大事。
助け合ってこそ人の社会。
しかし、魚の骨まで他人から取ってもらうのは行き過ぎ。
「自分の事は、自分でする」の精神=自立の精神は、助け合いと並立する社会を支える大事な柱でもあるのだ。



では、具体的に何故「自分の事は自分がする」が大切なのか。
理由は二つあると思う。

ヒヨドリ草



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2017.10.10


テレビCMで、骨を取った魚のお惣菜が宣伝されていて、ショックを受けた。



世の中がどんどん悪い方向に進んでいる。
それをどう止めたら良いのだろう。



何故だろう?
いつのころからか、生きている内に世の中が良い方向に進み始めるのだけは、確認してから身罷りたいと思っていた。
自分の子供や孫の将来を心配して、などと言う訳では無い。
彼らは彼らで、自分達の道は自分達で切り開いて行くだろう。
自分が死んだ後の事など、気にしてもしょうがないとは思っている。
だが・・・。
どうしてだろう気になる。



若い頃は、その内、誰かが良い方向に導いてくれるだろうと高を括っていた。
それが気が付けばアラ還。
そうのんびりとしていられる年齢ではなくなってきた。
少々焦る。



良い方向に向かうには、教育が胆。
教育さえ方向修正されれば、後は順次方向修正されるだろう。
ゆとり教育の時は、大いに期待し、これで大丈夫だろうと思ったものだった。
それが、ゆとり教育は期待に反し、とんでもない方向に曲がったうえ、空中分解。
元の木阿弥に戻ってしまった。
いや、木阿弥に戻ったどころか、悪い方向に進むのが加速している。
困った。



どうやら願いは叶いそうもないかもしれない。

赤い月



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2017.10.09


テレビCMで、骨を取った魚のお惣菜が宣伝されていた。



お魚の不人気は、骨があるからだと、そのコマーシャルでは言う。



確かに、子供達は、骨のある魚が苦手とは聞いていた。
ところが今は、それが良い年をした大人にも広がっているらしいと知り、暗澹たる気持ちになった。
子供の頃は、魚の骨を取る事は出来なくても、大人になるまでに練習し、問題なくなるのが普通だろう。
それが今は、そんな当たり前な事さえないがしろにされている。
恐ろしい世の中になったものだ。(何度そう書いた事か・・・。)



スーパーでも、切り身の魚は、骨が取られた物の割合が増している。
それはお年寄りの為だとばかり思っていた。
が、どうやらそうでは無いらしい。



新秋刀魚の塩焼き

再掲、秋刀魚の塩焼き。
骨なしの魚を食べる人って、秋刀魚を食べる時、どうするのだろう?



どうして食べる時に魚の骨を自分で採る事が大事なのか。
それをきちんと説明出来る人は、おそらく少ないのだろう。
だから世の中がどんどん悪い方向に向かっている。

なんとかならないものだろうか・・・。



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2017.10.08


B品の幸水を購入。



B品の幸水

大きさが不揃いで形も歪。
でも味は上々。
何の問題も無い。
しかし、日本の場合、規格から外れると、極端に価格が下がってしまう。
食べる方としては有り難い。
が、作っている方にとっては、納得がいかないのではないかと、いつも心苦しく思う。



勢い、規格に通ったモノは高級化せざるを得なくなる。
果物の高級化のそれが一因だと思う。



果物の摂取量が、目標の半分にも満たない状態が続いていると聞いた。
皮を剥くのが面倒とか、中年男性の果物嫌いなど、色々な原因は考えられるが、果物の高級化も原因のひとつなのだろう。



先日、うち担当の若い銀行員さんが、「もう何年もブドウを食べていない。」と言っていた。
「一房数千円もするブドウを、おいそれと食べる気にはなれない。」と。
同感、そう思う。
ましてや、それを毎日食べるなど、考えられない事だと思う。



生産者が、労働に見合う報酬を欲すれば、勢い高級化せねばならなくなる。
しかし、そうなって来ると消費は減る。
毎日、高級品等食べられない。
それが自由経済の矛盾。
労働報酬の格差は、需要と供給の考え方では無理が生ずる。
それを矛盾なく解決する処方箋ってあるのだろうか?
経済に疎いうおぬま屋は、いつも悩む。



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2017.10.04


デイサービスから帰った母に付き添って来たヘルパーさんが、平謝り。



なんでも入浴の際、欠けた爪にバスタオルが引っかかってしまい、少し血が出てしまったのだそうだ。



寝たきりの母は、やはり普通とは違い、ちょっとした事でも出血しやすくなっている。
だから、かなり注意していても、時々小さな出血は避けられない。
なので、そんなに謝らなくても、と思い、そう伝えた。



しかし、世は不寛容社会。
強硬にクレームを言う人も居るのだろう、きっと。
大変だな~、と思う。



そうか・・・。



先日久しぶりに参加した同級会の居心地の良さ、あれは、寛容が醸し出すものであったようだ。
そう言えば、何の緊張感も無く、他人と接したのは、随分久しぶりな気がする。
不寛容社会の中の寛容。
それが同級生というものだったと、いまさらながら気が付いた。



得難い関係。
もっともうちのクラスは、事の外、皆、仲が良かった。

昔、日本は、基本、こんな感じであった様な気がする。



お茶の花

いつからこんな不寛容社会に陥ってしまったのだろう?
どうしてこうなってしまったのか?
皆がそう思いながら、事態は悪い方向に進むばかりだ。



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2017.09.21


教育予算を2兆円増やすとの首相の発言が有ったらしい。



選挙目当ての空手形で無い事を願う。



当たり前ではあるが、教育が胆である事は、どうやらご理解されているようだ。



空手形では無いとしても、実際に教育改革が出来るのか疑問。
結局、妥協、妥協を繰り返し、ゆとり教育の轍を踏むのが目に見えている気がする。



教育を経済的優位性を獲得する為の手段と考えている内は、いくら高等教育を無償化しても、この目を覆うような教育の荒廃は止まらない。
無償化は良い事だと思うが、最初から踏み出す向きがズレている。



無償化も必要だが、ちゃんと教育改革を正しい方向に導いて欲しい。
でないと、さらに不味い方向に進んでしまいそうだ。
悪い予感がする。

赤い夕陽



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2017.09.14


「給食の時間に、うちの子には『いただきます』といわせないてほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、いわなくていいではないか」と学校に申し入れた母親がいた。
と言う記事を見付けてビックリした。



また、食堂で「いただきます」と言ったら、隣のおばさんに「お金を払っているのだからお店がお客に感謝すべきだ。」
と言われた、と言う話しも載っていた。



両方とも「人に何かしてもらっても、お金さえ払えば、とくに感謝などしなくても良い。」という今、蔓延している勘違いに基づく逸話だ。



これは経済を誤解しているから起こる間違い。
経済社会とは、お互いが助け合って成り立っているという事を、完全に失念してしまっている。
辛辣に言えば、拝金思想で目がくらんでしまっているのだろう。



お金は、その相互扶助のシステム=経済をスムーズに働かせる道具でしかない。
その道具を、相手に渡したからといって、自分が相手からなにかしてもらった事に感謝しなくても良い、などという事にはならないだろう。
お金は、紙や金属でしかない事は、一目瞭然だ。



彼が居るから私は生活できる。
私が居るから彼も生活できる。
それが経済の考え方。
そうとなればお互いがお互いに感謝し合うのは当然のことだろうと思う。



どうしてこんなバカげた誤解が起こるのか?
まあ、もっとも、この誤解は、古今東西、ず~っと存在し続けている誤解ではある。
やはり教育で、その辺のところをしっかり教えるべきなのかもしれない。



バラ園

しかし、普通に学校教育を受けていれば、自ずと理解出来る、基本中の基本ではあるとは思うのだが。



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2017.09.12


長男が恐ろしい事実を聞いて来た。



長男の同僚の女性から聞いた話。



彼女は、中学生のお母さんらしいのだが、「娘さんに必ず制汗剤を持たせて欲しい」と学校から連絡があったのだそうだ。
え!?
制汗剤?
なんで??
と思うと思うのだが、理由は、
「汗の匂いが、いじめめの引き金になる事があるから」
なのだそうだ。
どうやら生徒全員に制汗剤持参を要請しているらしい。



おい、おい、おい、である。
汗の匂いが、いじめの動機になっては駄目な事を教えるのが教育だろうに。
それを是認してしまってどうするのだろう?
問題が起きた時が、教育のチャンスなのは常識。
まあ、尋常ではない現状は理解出来るが、制汗剤の持参でお茶を濁したところで、それは何の解決にならない。
なんなんでしょう、この事なかれ主義。
教育が、教育者が、その機能を失っている。
恐ろしい事実だと思う。



そもそも、人間は、いや生き物は、と言った方が良いのだが、いじめが大好きなのだ。
今の教育は、そんな当たり前の事さえ忘れているようだ。
それを矯正するのが学校の大きな役割。
本能の欲求をコントロールする術を教える場所が学校なのだ。
それを見失っている。
だからと言って、道徳教育を、などと言う考えは、あまりに短絡的過ぎて笑い話しとしか思えない。
学校を経済的優位性を獲得する為の道具としか考えていない内は、いじめは無くならない。



暗雲

いや、びっくり。
教育の荒廃事例が、枚挙に暇が無い。
これほど教育が荒んでいるとは・・・。
経済的豊かさばかりを追求している内に、学校がとんでもないことになってしまっている。
いよいよ来るところまで来ているようだ。



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